憲法9条を巡る解釈で「自衛の為の戦力は合憲」
とする立場がある。
いわゆる“芦田修正”(2項冒頭に
「前項の目的を達するため」という文言を“追加”した事)
を重視する解釈だ。
しかし、それは無理。
「日本国憲法には、66条2項の文民条項以外は、
戦争ないし軍隊を予定した規定がまったく存在しない」
(芦部信喜氏)からだ。
「もし、9条が自衛のための軍備の保持を
認めているとするならば…軍隊の指揮統率(とうそつ)
やその編成に関する規定が憲法上存在しなければならない」
(高見勝利氏)。
にも拘らず、それらは一切存在しない。
それが、日本国憲法における
「軍事権のカテゴリカルな消去」と呼ばれる特異性だ。
「日本国憲法だけを読んでいると、
軍事権をカテゴリカルに消去していることには、
なかなか気付けないでしょう。
しかし、軍隊のある国の憲法と読み比べると、
このことは明確になります。
…軍を持つ国の憲法は、
軍の指揮権や派遣の手続きについての規定を設けて、
軍をコントロールするのが普通です。
…立憲主義的な憲法にとって、
軍隊のコントロールは重要な役割の1つです。
しかし、日本国憲法には、
そうした規定が一切存在しません。
それは、『軍を置かないことが前提になっているからだ』
と考えざるを得ません」(木村草太氏)。
従って憲法を見直す場合、
それが真っ当な議論であるか否かを
見極めるポイントは2つ。
(1)9条2項の「戦力不保持」規定を改めるか、
どうか(改めずに自衛隊を「明記」すれば、
対米依存=従属は固定化され、むしろ深まる)。
(2)「戦力不保持」規定を改める場合、
軍事権をコントロールする規定を“カテゴリカル”に
追加するか、どうか(追加しなければ、「戦力」への
立憲主義的な統制が働かない)。